2016年6月18日土曜日

インドネシアでコーヒーの仕入れをしています。

従来の最高級コーヒーの「オーガニック・ルアック・コーヒー」だけではなく、

今後、アロマコーヒーや、もう少しリーズナブルなルアックコーヒーの仕入れも行っていく予定です。

インドネシアの旅も佳境です。




2015年1月8日木曜日

誹謗中傷を書く輩

インターネット関係の仕事をしていると。

本当に誹謗中傷の書き込みにあう。

これまで累計1600社のコンサルを受けてきた。ということは。

1600社のうち、既存の取引先があった企業は80%以上あったわけで。

結果として、こっちが奪ったとも言える。

そうすると当然、面白くない人たちもたくさんいるわけです。

火のないところから煙を立たす人たちがいます。

そういう人たちにいちいち対処していてはキリがないわけで。対応していません。

時間の無駄だから。

そもそも犯罪も犯してないし、犯罪歴もありません。交通違反の罰金がいいところです。

欲しかったら、勝手に調べてくださいな。

そもそも会社を経営していたら、代表者の自宅だって登記されている。

文句あるなら会社かそこに来ればいい。

ネットで捏造した文書を、こそこそこそこそ書くなっていうの。

と怒りが起こる日もあります。

はぁー、腹がたつ。

2014年11月13日木曜日

【お疲れ様 22年間本当にありがとう ちっぷ】



朝起きたら、腕枕で猫のちっぷが寝ていて、起こしてくれた。
 
 
家に帰ると。
 
 
18歳の頃から22年間一緒だった猫のちっぷが穏やかに眠っていた。
 
 
いつものように「ちっぷ元気?大丈夫?」と声をかけたけれど。
 
 
返事がなかった。
 
 
22歳永眠。人間なら百何十歳以上
 
 
 
最初に飼い始めたのは、自分が18歳で一人暮らしを初めて、里親募集の貼り紙を見つけて、50匹近い猫の中で一目惚れだった。
 
 
その頃上映されていた美女と野獣のポット夫人の子供が「チップ」だったことから名前は「ちっぷ」になった。
 
 
それから、22年間ずっと一緒だった。大変な思いをさせた。
 
 
北海道の札幌で飼い始めて、実家のあった釧路、また札幌、横浜、東京。
 
 
20回近い引っ越し。
 
 
飛行機にも二回のったし。
 
 
JR500km近く移動した。
 
 
350kmの道のりを3回も車で移動した。
 
 
家賃3万円の貧乏暮らしから、家賃80万円の部屋まで一緒に住んだ。
 
 
猫の為の部屋を借りて、ちっぷが一人暮らしまですることすらあった。
 
 
 
一週間出張で家を明けても、海外にいってる時もきちんと一人で待ってくれていて
 
 
父が亡くなった時も、
 
 
会社が大変な時も
 
 
離婚して辛かった時、
 
 
仕事でうまくいって調子に乗ってしまっている時も
 
 
悲しい時も、
 
 
うれしい時も
 
 
辛くて、辛くてどうしようも無い時も
 
波瀾万丈な俺の人生で
 
 
いつも側にいてくれた。
 
 
「もう・・・いいや。全部辞めたい」
 
そう思った時。優しい目で側にいてくれるだけで元気づけられた。
 
 
一人で居ても、独り言にならない。それは「ちっぷ」のおかげだった。
 
 
泣いている姿も、嬉しい姿も。
 
 
愚痴も、俺の夢も、全部を知っている存在。
 
 
 
生命があるもので、自分にとって親以上に一緒にいたのは、ちっぷだった。
 
  
 
先日二回目の動物病院に行った時。
 
 
「健康ですね。この歳なのに不思議なくらい」
 
 
あの日、友人のお母さんのすすめで動物病院に連れて行かせてもらってよかった。
 
 
もし病気で苦しんでいるのを、あの日知ったのなら、今の自分はもっと後悔しているんだと思う。
 
 
でも、あの日 健康だと言われたので、
 
 
今日の死は素直に受け止められる。間違いなく大往生だ。
 
 
最後は苦しまず、いつもと同じ姿で寝ているようだった。
 
 
所詮ペットでしょ?と思う人も当然いると思うけれど。
 
 
俺にとっては本当に宝物だったし、最高のパートナーだった。
 
 
寂しがり屋の俺が心配でなかなか安心出来なかったんだろうな。
 
 
だからずっとずっと長生きしてくれた。本当にありがとう。
 
 
心からそう思う。今まで頑張れたのは、ちっぷのおかげだと思う。
 
 
そろそろ落ち込んだりすることなく、強くなって頑張らなきゃ。
 
 
何度も夢を伝えたけれど、絶対に叶えなきゃ。
 
 
22年間、最後は耳が聞こえづらかったり、歩くのもヨボヨボだったけど。
 
 
本当に良い子だったと思うよ。
 
 
飼い主としてはいっぱい苦労かけて、辛いとこばかりみせて、良い飼い主じゃなかったけれど、
 
 
これからも見守っていて下さい。
 
 
お疲れ様。おやすみ。ちっぷ。

2014年10月16日木曜日

某上場企業会長のお墓探しの旅をした思い出

唐神の溜池


皆さん。人のお墓探す旅ってしたことありますか?



自分はあります(笑)



自分が北海道にいた頃の話しです。


2007年の8月上旬の事をおもい出しました。


北海道の観光業大手の上場企業のK観光(現在はMBOで上場廃止)。


部屋室が600室のリゾートホテルを北海道の多くの温泉地に十数件の観光ホテルを持つ北海道では知らない人がいない会社でした


→CM出稿数が尋常じゃなかったので、1日数十から数百件のCMが流れていました。しかも複数のテレビ局に渡って流れていたので北海道での認知率は100%に近かったと思います。


そこの仕事をしていたのですが、あるキッカケで


広告代理店の社長と一緒に、K観光の会長(2008.12.22没) の依頼で


福島県の相馬市にある会長の祖先のお墓を探す旅に出ました。


「自分は高齢なので、無くなる前に墓のありかが知りたい。」という事でした。


情報は相馬にあるの「唐神の溜池の近く」と。という情報のみ。
石碑


詳しくは覚えていないのですが、


福島県相馬市は中村藩があり、


中村藩は、相馬事件という事件があった土地です。


相馬事件とは、藩主が精神病だとして、臣下が座敷牢に幽閉をしたスキャンダラスな事件で、


そのあたりで何らかのトラブルがあり北海道に落ちたの武士が会長の祖先だったそうです。


そして、どこかその近辺にお墓があるらしい。


との事だったのです。


自分とは縁がない土地の話と思っていたのに、その探索を頼まれた時が


たまたまタイミング的に、自殺を止められなかった、Kさんの実家も福島だったのと、


自分の父の出生地が福島県相馬市字中村だったため、自分のルーツを探す旅にもなるのでは?


と思い行くことになりました。


仙台空港からレンタカーで移動。


唐神の溜池近くの民家を訪問して、聞き込みを開始。


最初はなかなか手がかりが見つかりませんでした。


そうそう北海道はお墓といえば殆どが集合墓地ですが、東北は違うんですね。


田んぼの真ん中に島のようにある墓地や、山の斜面の墓地。
聞き込みの末見つけた墓地



色々なところを聞き込みしながら探したのを覚えています。


聞き込みの末、Wさんという方が、墓を守っているとのこと。


探しに探しまわり、遂に見つけたのがこの墓。



発見したお墓は渡邉さんの墓の横にひっそりと

どうやら、藩の騒動にて、落ち武者として北海道に渡ったことから、ひっそりと守られていたそうです。

墓石の裏側に小さく目的のK家の墓の文字が書かれておりました。


途中、Kさんのお兄さんに会い相馬の野馬追の歴史館を観光させていただいたり、


父の知り合いだった方とお話が出来たり。


今は原発で閉鎖になっている双葉郡の印刷やさんのホームページをつくらせていただく仕事をいただいたりしました。


今考えると、あの土地に津波がきて、原発が事故を起こしたんですね。


あの時の出会った方々の安否はわからない方ばかりですが、無事を祈るしかない気持ちになります。


それにしても、会社を経営しながらお前は何をやってるんだ。って感じですね。


でも、本当に色々な事をしていますね。すごくいい経験でした。


とりとめもない文書になってしまいましたが、思い出したのでついメモとして書き残します。

2014年10月12日日曜日

台湾や東南アジア旅行に行った若者が必ずする「日本賛美」について


先日の事。


これは批判とかではないのだけど、物の見方、考え方の問題だと思うけど、


んっ。。。と思う事があった。


あるセミナーで台湾に行った時の話題があがった。



「とっても親日国で。。。。。」


「台湾の方は日本語で接してくれて。。。。。。」


「日本はいい国だと褒めてくれて。。。。。。」


結論、日本はいい国だと思った。




これは一例でこの手の話題は最近多い。



とくに中国と韓国の反日問題が出てからというもの、


日本はその2国以外によりどころを求めているから、


どうしても、そういう話題が多くなる。


台湾も、東南アジアの国々も、確かに親日国が多いので旅行等をしたら、
そういう意見が多くなるのは確かだろう。




「これだけ他の国々に影響を与えている日本は素晴らしい国だと思った」



と皆がいう。何が気になるかと言うと。


それを言ったり、意見を述べる人たちの表情と言い方とニュアンスの中に


占領国していた国の優越感が入っているのがとても気になるのだ。



「他国を下に見ている感」がビンビンと感じる。



そして、必ずコメントとして



「日本はもっと誇りを持つべきだと思いました」と語るパターンが多い。



これは正直違うのではないかと思う。




「日本が誇りを持つのではなく、相手国からそう思ってもらえるように関わっていた先人を誇るべき」だと思う。


親日になった原因というのは、日本の先人が統治時代に相手国の文化を尊重したり、


相手国の統治機構をなどをなるべく尊重していた結果であって。


今の日本に行動に対してのリスペクトではない。あくまで過去の日本に対してのものだ。


今の日本人に対しての尊敬ではない。


あくまで、その見学した若者が日本の代表として偉いわけではないし。


今の日本がその国の歴史を動かしたわけではない。


なのに、偉そうにただの旅行者が優越感をもったり、偉そうに感じてはいけないのだと思う。


日本をは誇りに思うのはいい。


でも悦に入ってはいけないと思う。



これから日本が世界に対してどうすべきか、それが課題だと思う。

2014年10月11日土曜日

継続の大切さ100日続けてみて思ったこと


今まで、自分の人生の中で、100日連続して続けられたものなんてあったのだろうか?


確かに100回以上やったという事はある。


でも、だいたいの事は何日かやらなかったり飛ばしたりしてきた。


という中途半端なものが多い


必ず言い訳をして、飛ばしたり、諦めたりしてきた自分がいたと思う。




今回、人生で初めて、一つの事だけど諦めず100日間。続けられた。


そしてまだ続ける事に決めた。



最初は人の気持ちを変えるために初めたものだった。


こういうふうに格好をつければ気持ちが変わるのでは?


そんな打算的な気持ちだった。


それが 人の為 から 自分の為 にいつのまにか変わっていた。


今は自分の為にやっている気がする。


一つは、本気になれば出来るんだと言う自信がついた。


そして、もう一つは自分の言い訳や妥協や諦めばかりだった自分と離れられる決意が出来た。



他人は変えられない。


でも、自分は変える事は出来る。


そんな事に気づいたのが一番の成果だし。


継続することが出来たのは、やっぱり自分の何よりも大切なものを失いたくないと言う気持ちからだと思う。


これから、自分の大切なものをきちんと守る為。


一つ一つ積み重ねていく事をしていきたいと思う。



むかしはわからなかった「積小為大」という言葉。


いまならわかる気がする。

2014年9月23日火曜日

MZ-80B 33年前からパソコン触っていました。


ITの仕事をやっているので、いつからITに関わっているのですか?
とよく聞かれます。
実は33年前からパソコンに関わっています。
※先日40歳になりました。
自分が最初にパソコンに最初に触ったのは7歳の時。
シャープのMZ-80Bというパソコンでした。
※この頃は「マイコン」でした。
機械好きだった父が馬鹿高い金額のパソコンを突然買ってきたのがきっかけです。
普通の家や会社にもパソコンはなかった時代です。
今から33年前。時代的には孫正義さんがソフトバンクを福岡ではじめた頃。
IBMがパーソナルコンピューターに参入した時代でした。
当時のパソコンの能力(スペック)は、CPUが4Mhz、
ディスプレイは色はなしで一色グリーンのみ表示。
画面はドットと呼ばれる緑の点が見えるくらいの粗さ。
カセットテープにデータを記憶するタイプのものでした。
つまり、今自分が使っているMAC BOOK PRO(3.7Ghz)と比べると947分の1の性能でした。
※単純にクロック周波数の比較。厳密だともう少し違いますが。
このパソコンで何かソフトを動かしたかったら、
そもそもソフトが殆ど売っていませんでした。
マシン語といわれる「01DA 0AB 12CE 1011 AC10」などの16進数で作られたソースコードを数千行近くプログラムを打ち込むか、
BASICと呼ばれるプログラムのソースを雑誌付録から数百ページを見ながら打ち込むという作業をする必要がありました。
そんなこんなで33年もパソコンを使っています。
ふと考えるとコンピューターとの関わり歴で言うと、日本国内でも古参組のレベルですね。
途切れること無く、パソコンを利用しているので、そりゃー他の人よりも知識があって当然。
しかもIT系の学校ができはじめる前に技術的には既に理解していたし、国家資格も数種類もっているので、
それなりレベルの知識はあります。
ただ「自分は技術者じゃないですので。。。」とよく話します。
単に技術系の仕事を主体にしていないだけです。
(したくないとも言う)
コンサルティングや営業的な人と関わりあう仕事が好きなので。
ただ、実生活では英語が苦手なので、Perl, R, Ruby, C++などのコンピューターの言語を全部忘れてもいいので、英語がペラペラになりたい今日このごろです。

2014年7月24日木曜日

昨日は父の命日


仕事の話は機密が多くて、なかなかポジティヴな事がかけなくて、
いつも微妙な話題ですみません。


昨日23日は父の命日でした。

平成9年の7月23日に父は亡くなりました。


どんなに贔屓目に見ても、
本当にワガママで、自分勝手で、どうしようもない父でした。
正直恨むことも沢山ありました。


知識に対して貪欲で、様々な事を知ろうという探究心。
仕事に対しての取組み方。
仕事に関しての真剣さ。

誰よりも努力家で、頑張っていましたのだけは自慢でした。
今でも本当に尊敬しています。
殆ど寝ているのは見たことがない父でした。

酒もタバコも一切飲まず、博打もせず、人付き合いが本当に下手で、不器用でしたが。

仕事に関する努力の大切さは教えてくれました。


父の死のきっかけは計画倒産をした知人男性の連帯保証人をしていた事でした。
連帯保証債務と自分の事業債務で、大変だったのだと思います。
※とは言ってもたすき掛け保証をした父も悪い。

きっかけ自体は人のことが原因なんだからいいじゃないか?
楽になって欲しい。破産をして、もう一度人生をやり直そうよと説得を続けました。

自分が住んでいた札幌から父のいる実家の釧路までは350キロ。
半年以上、毎週700キロ往復して説得しました。

昭和9年産まれで、頑固でプライドが生命よりも大切な父は言うことを聞きませんでした。

自分は亡くなる二日前。
母に手は出したりしませんでしたが、誤解からの勘違いで「出ていけ」
といったらしいです。

それを聴いた自分は母に

「一度家を出たらいいんじゃない?自分も毎週通ってたけど。今週は行かないようにするから。わかってもらうには一度距離を置くそれしかないよ。」

そういいました。


自分も実家に帰らず。母も1日だけだったけど。家を出ました。


その翌日父が亡くなりました。
心配した母が次の日、家に帰り異変を感じました。

父が亡くなっていました。


その日。自分の人生にとって大きな十字架を背負うことになりました。

自分の一言がもしかしたら、父を死においやってしまったのではないか?
そう考えるようになりました。


その出来事で学んだ事。


「人への愛情は駆け引きしては行けないと言うこと。」

「人を助けたいと思うのであれば、徹底して変わるまで責任もって関わること。」


でした。

その後、自分は父の連帯保証で結果として、数千万円クラスの債務を背負ってしまいましたが、
この死をきっかけに23歳で独立起業を決意し、頑張って働き、半年で完済しました。


父の死からの独立起業。

自分の人生の明らかにターニングポイントになりましたし、もう心の整理もつきました。

この件があったからこそ、

バカだと言われても、自分に救いを求めてくる人には精一杯の力で対応してあげたい。

そう思うようになりました。


そしてそれからは深い人間関係が築けるようになりました。


確かに大変な事もたくさんありますが、一度切りの人生。

どれだけ多くの人の人生に関われたのか、良い方向で関われたのか?
というのが人間の価値の一つだと思っています。


自分はお人好しのバカと言われる事が多いけど。


自分に課せられた十字架を背負って、
もっと多くの人に頼られ、たすけられる人間になりたい。そう思っています。

お金は拾い直せるけど、時間と生命は戻らない。

だから、お金よりも、助けなければならない人がいればそれをとるようにしたい。


人間は必ず死にます。

でも何かをしてあげれば、その人の心の中では人は思い出として生きている。


それならば、人に思い出に残るような救いの種を撒くことが自分の人生の価値といえるんじゃないかな?

肉体が死んでも、思い出としてでも生き続けられるのでは?

だからこそ、人に対して一生懸命に何かを与えられる人間になろう。

そういう思いを根底に持つようになりました。


保証人や騙されたお金で、結果として返済したお金は数億円

バカで損な生き方だな。。。。人はそういいます。
でも、それなりの理由があるのです。



せっかくなので、父の命日には、父の事。色々と考えてあげなきゃ。

そう思いで書いてみました。


2014年7月23日水曜日

人の力になる

知り合いのお母さんが癌になった。


金銭面では、助けてあげられないけど、


家の経済状況が大変らしくて、区役所の手続き、高額療養費の手続きの仕方や、


滞納していた国民健康保険の処理の仕方。


病院との話し合いのポイントなどの相談にのってあげた。


昔、身内の癌の件で、何度も大変な思いをしたから、お金がないなかで身内が癌になるとどうなるか、すごく知っている。


自分の大事な人間の死を意識するというのは、本当にプレッシャーだし。

何よりも本人と家族が一番大変。


だから、知らない事があると人間不安になる。

その不安が少しでも、取り除いてあげられていたならいいな。


誰かの役に立つために、自分の経験が役に立てるなら。


それが一番いいもんね。

2014年7月16日水曜日

裏方の仕事

舞台があれば舞台裏があり、


日向があれば、日陰はある。


どちらも大変。


どちらか一方だけがあればと言うこともない。


お互いがあって、初めて成り立つ。


だからお互いへの感謝を忘れないようにしないとね。



昨日クラシックコンサートの裏方さん(誘導の人)を見ながら改めてそう思った。


コンサートの終了間際だったけど。


後から遅れてきた、お客様がきちんとしたタイミングで入れるように、


誰かが音を立てて入退室をして、コンサートの演奏に迷惑がかからないように


真剣に仕事をしていた。


はっきり言って、手を抜ける仕事だと思うし、簡単な仕事に見えるけど。


一つ一つ丁寧に真剣にしているんだなぁ。。そう思った。



仕事なんだからやって当たり前と思っていても、こちらが


気持ちだけじゃ伝わらないので。


気持ちは言葉があって初めて伝わる。




「皆さんありがとう。きちんとした仕事してくれて。感謝してます。いい仕事してますね!」



と言ってあげたら、みんなとてもいい笑顔をしていた。


やっぱりこれだよね。


その感謝の一言。


思ったら正直に伝える。


それだけで相手は嬉しいんだから。


言葉は無料だしね。


これからも裏方の人にも、声を掛けていこう。